観潮船の甲板。取材で乗った日、渦が巻き始めた瞬間に船内がざわっとなって、全員が同じ方向へ寄った。カメラを構えた人の肩がぶつかって、二人とも笑う。誰も謝らない。
どどど、という音が思ったより低い。海があんなに鳴るなんて知らなかった。
徳島は出会いがない。県内で何度も聞いた台詞。関西へ出る人が多くて、若い人が少なくて、飲みに行く場所も限られている。でもさ、編集部で徳島に縁のある人たちに話を振ったら、妙に温度の高いエピソードがぼろぼろ出てきたのよ。
渦を待つ時間に、人は隣へ寄る
時計を見る回数が揃う
茜さん、二十七歳。鳴門の観潮船の窓側で、渦が巻くたびにシャッターを切っていたそう。隣の人が、世界三大潮流って数字より音ですよね、と小さく言った。船が傾くたび肩が当たる。
港に戻って鯛ラーメンを分け、渦の道まで同じバスに乗った。
潮の時刻を待つ時間は、知らない人同士でも時計を見る回数が揃う。これ、めちゃくちゃいい話じゃない? 同じものを待っている人間は、それだけで共犯になる。
橋の上では喋れない
雅人さん、三十五歳。大鳴門橋の遊歩道で、ガラス床の下の海を見て足が止まった。後ろから来た人が、歩ける橋だと思わなかった、と全く同じ顔をしていたらしい。そのまま鳴門鯛の店まで下りた。
橋の上は風が強くて、会話は短くなる。わかめの話で盛り上がったのは、岸に着いてからだと彼は言う。
喋れない時間を一緒に過ごすと、降りたあとの会話が勝手に長くなる。溜まった分が出るんだろうね。
欠航の掲示の前で
蒼太さん、二十六歳。大歩危の展望台で、前日の雨のせいで遊覧船が欠航になった掲示を眺めていた。隣にいた人が、川の色は今日の方がきれいですよ、とぽつり。二人で透明度の高い水に手を浸したそう。
小歩危まで歩いて、道の駅のジビエでまた同じテーブルになった。
予定が崩れた日の方が、川の前に人が残る。計画通りに動いた日って、案外なにも起きないんだよなぁ。
踊る土地は、身体から距離が縮む
肩の高さが揃う瞬間
ほのかさん、二十四歳。阿波おどり会館の昼公演のあと、一緒に踊る列に入った。隣の人が手の動きを一度だけ見せてくれて、そのあと眉山のロープウェイまで同じ切符を買ったらしい。
お盆以外でもぞめきは残っている。会館を出たあとの新町川沿いで、また同じ人と会った。
踊りは上手さより、肩の高さが揃う瞬間が近い。彼女の表現、そのままメモに残した。手を上げて、同じリズムで足を出す。言葉より先に身体が同期する。あれ以上の自己紹介ってある?
見るより探すが先だった
裕二さん、四十二歳。八月の演舞場の外で、毎年会う顔を探して歩いていたそう。夕方になると人がわっと湧いて、屋台の間ではぐれて、写真を撮ってまた見つかる。
中高生の頃から、見るより探すが先。踊りはちらっと見るだけ。
知り合いを探しているうちに、知らない連の人とすだちチューハイを飲む夜になる。徳島の夏、こういう使い方をしている地元の人がかなり多い。観光客が踊りを見ている横で、県民は人を探している。
手のひらの青さで分かり合う
光希さん、二十八歳。藍染めの工房で、自分の藍色が上がるのを待っていた。隣の槽の人が、ふわりと心を撫でる色ですね、と同じ感想を口にしたらしい。乾くまでの時間を縁側で過ごしたそう。
阿波藍は手のひらが青くなる。その青さで初対面だと分かり合える。
染め物は言葉より先に色が残る。手を見せ合うだけで通じるって、とんでもなく効率のいい出会い方だと思う。
秘境は、車がないと動けない
揺れは中央が一番
栞さん、三十歳。祖谷のかずら橋の途中で、足元の谷を見て立ち止まった。怖いと楽しいが交互に来る。後ろの人が、揺れは中央が一番ですよ、と教えてくれたそう。
対岸で祖谷そばを食べて、小便小僧の展望台まで同じタクシーに乗り合わせた。
秘境は車がないと動けない分、相乗りの会話が長くなる。これ、徳島の山間部で本当によく聞く話。バスが少ないことが、逆に人をくっつけている。
夕食の席がすぐ隣になる
恵子さん、四十六歳。落合集落の石段を上って、雲の上の古民家の前で息を整えた。坂の途中で、誰かが水を勧めてくるらしい。
一軒宿の湯で同じ宿の人と、日常からお暇します、と笑い合った。夜は阿波尾鶏をすだちで締めたそう。
秘境の宿は人数が少ないから、夕食の席がすぐ隣になる。都会のホテルでは絶対に起きない現象。宿泊者が五組しかいない場所では、他人でいる方が難しい。
川の前で足が止まる
昭さん、五十歳。三好の吉野川に泳ぐ鯉のぼりを、橋の上から眺めていた。隣の人が、高知はカツオ、愛媛は鮎、と他県のぼりを教えてくれたそう。山城町の桜並木の謂れまで話が伸びた。
戦の弔いに植えた桜の話は重い。川風の中では短く済ませる。
四国の川は綺麗すぎて足が止まる。止まった場所に人が立つ。彼の言い方が好きだった。景色に足を止められた人同士は、同じ感受性を持っている確率が高いんだよ。
駅と町の途中に、入口がある
目的がない人同士が立つ場所
陸さん、二十五歳。阿波池田のホームで、黄色いアンパンマンカーを撮っていた。琴平から何も考えずに降りた昔を思い出していたらしい。地図を広げていた人と、雲辺寺の位置を確認し合ったそう。
山を抜けると吉野川が一気に開ける。その変化を口にしただけで、隣の席ができた。
途中下車の町は、目的がない人同士がよく立つ。予定を詰めていない人間には余裕がある。余裕があるから、隣に話しかけられる。
ホームで始まる会話がある
すみれさん、三十三歳。美波の海岸で冬の波を見ていた。サーフィンのメッカは寒い日ほど人が残っていて、隣の車の人が、いい波は冬だよ、と窓を下げたそう。
牟岐線の気動車の車窓から海が見える区間で、また同じ顔に会った。
南の町は観光バスが少ない。だから駅のホームで会話が始まる。一時間に一本の路線って、待っている人が固定される。その不便さ、悪くないよね。
寄っただけのはずが
千夏さん、三十四歳。道の駅いたのでにんじんの形をした土産を選んでいた。休憩のつもりが特産の列で長くなり、阿波オケのチラシを持った人に、ちょっと寄っただけなのにねぇ、と笑われたらしい。
板野は通過点なのに、寄ると次の発見の話になる。すだちと和三盆を袋に入れたまま、駐車場で十分も立ち話をしたそう。
街の夜と、山の上
生卵を落とすタイミング
涼さん、三十二歳。徳島ラーメンの店で、生卵を落とすタイミングを隣の人に教わった。列は短いのに会話が速い。次は阿波尾鶏だ、と地図を見せ合ったらしい。
駅前は飲み屋が多くて、人口の割に夜が長い。ラーメンのあと一杯、が自然に出る街。
これ、徳島の隠れた武器だと確信している。人口二十五万の街に、あの飲み屋の密度はおかしい。一晩で三軒はしごできる距離感が、出会いの回転数を上げている。
登って降りるまでの往復
仁さん、三十七歳。眉山の山頂で、徳島の街と川を見下ろしていた。ロープウェイの中で隣になった人と、阿波おどり会館の公演時間を合わせたそう。
天神社の絵馬を書いて下り、びざんの湯でまた会った。
市内は山が近い。登って降りるまでの往復で人が残る。行きと帰りで同じ顔に二回会う町。その反復が、偶然を必然に変えていく。
美術館の帰り道が一番喋った
大悟さん、三十九歳。大塚国際美術館で、陶板の名画の前にずっと立っていた。路線バスで来た三人組の一人が、実物より近づけますよね、と笑って、ひょうたん島の遊覧の時間を教えてくれたそう。
鳴門は渦潮だけだと思っていた彼にとって、美術館の帰り道が一番話の多い時間になった。
展示を見ている最中じゃなく、出たあと。感想を吐き出したい人間が同時に大量発生する瞬間って、あそこなんだよね。
徳島で声をかけるとき、外してほしくないこと
次の行き先を先に置く
体験談を並べていて気づいた共通点がある。番号を交換した人も、しなかった人も、全員が次の目的地を口に出していた。次は阿波尾鶏、渦の道まで、公演の時間を合わせて。
いきなり連絡先を求めると警戒される。当たり前の話。でも、そこまで一緒に行きませんか、なら断られても膝から崩れ落ちるほどのダメージにはならない。この順番、本気で守ってほしい。
待ち時間と移動時間を狙う
観潮船の潮待ち、ロープウェイの車内、相乗りのタクシー、一時間に一本の気動車。徳島の出会いは、待っている時間と移動している時間に集中していた。
目的地に着いてから何かが起きると思っている人、順番が逆だよ。着くまでの時間の使い方で決まる。スマホを伏せて顔を上げておく。それだけで変わる。
手が動く場所を選ぶ
藍染め、踊り、ラーメンの生卵。身体を使う場面では、沈黙が気まずくならない。手が動いているから、無言の時間が自然に処理される。
話すのが苦手な人ほど、体験型を選んでほしい。会話力で勝負しなくていい土俵が、この県にはやたら揃っている。
人口が少ないことは、不利じゃない
一度会った人に、また会う
体験談を読み返すと、同じ人と二回会っている話が異様に多かった。会館を出たあと、道の駅で、びざんの湯で、気動車の中で。
狭い県では、偶然が繰り返される。都会なら一期一会で終わる出会いが、ここでは再会に化ける。一度の会話で結論を出さなくていい土地なのよ。
混雑の日を避ける
阿波おどりの本番、連休の渦潮、満席の観潮船。人が多い日は全員が匿名になる。逆に冬の海岸、雨で欠航した日の川、平日の昼公演。がらんとした場所ほど、隣にいる人が人として立ち上がる。
数を求めるなら人混みへ。深さを取るなら、静かな場所へ。この選び分けができている人が、徳島では結果を出している。
鳴門の潮は、一日に二度必ず速くなる。その時間に船へ乗る人は毎日いる。隣にカメラを構えた誰かが立つかどうかは、運。ただ、船に乗った人にしか、その運は回ってこないのさ。

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